YOKOHAMA Display Museum

  • 【個人宅不可】Alphonse Mucha
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YBIGAM6246 7【個人宅不可】Alphonse Mucha

¥35,000(税抜)/1コ
サイズ
305x445x25 1000g 吊り金具仕様=ヒモ
素材
PS樹脂・アクリル・紙・MDF
メーカー
(株)美工社
発注ロット
1

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商品説明

アルフォンス・ミュシャ 1860年生まれ。(1860〜1939)
チェコ出身でフランスなどで活躍した画家。
ウィーンの舞台装置工房で働きながら夜間デッサン学校に、その後ミュンヘン美術院、28歳の時にパリのアカデミー・ジュリアンに通った。パリではデザイナーや挿絵画家として生計を立てていた。ベル・エポックを代表する女優サラ・ベルナールのポスター「ジスモンダ」を手掛けたことが名声の第一歩となった。アール・ヌーヴォーを代表する画家で時代の寵児として輝いた。優美で華やかな女性、風になびく豊な髪、流れるような衣装、装飾的なモチーフが特徴でそのデザインは世紀末を輝かせ、当時の芸術家の模範とされた。ミュシャの作品は星、宝石、花(植物)などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。イラストレーションとデザインの代表作として『ジスモンダ』『黄道十二宮』『夢想』『4芸術』などが挙げられる。スラヴ民族1000年にわたる大叙事詩の絵画化構想を抱き、資金集めのためアメリカにわたった。チェコへ帰国後20枚以上にわたる大型油彩作品シリーズ『スラブ叙事詩』の制作に時間を費やし1912年からはじめ完成したのは1926年だった。1928年、チェコスロバキア独立10周年記念としてミュシャは完成した『スラブ叙事詩』シリーズをプラハ市長に寄贈した。
1930年後半にファシズムが擡頭するとミュシャの作品やスラヴ民族思想は反動的に非難されるようになる。1939年にドイツ軍がチェコスロヴァキアに進駐すると、ミュシャはゲシュタポに逮捕される。取り調べを受けている間ミュシャは肺炎にかかる。最終的にゲシュタポから解放されたものの年老いたミュシャはかなり衰弱しており1939年7月14日にプラハで肺感染症で死去。ヴィシェフラド墓地に埋葬された。流麗な曲線から、ミュシャは「線の魔術師」とも呼ばれた。太い輪郭線、優美な描写、繊細な装飾性は日本でも愛され、デザインやイラストの模範となった。与謝野晶子の『みだれ髪』、『明星』などの表紙を描いた藤島武二の作品からはミュシャの影響が見られる。ゲームのファイナルファンタジーシリーズを手掛ける天野喜孝や山岸涼子、松苗あけみなど、イラストレーターや漫画家に大きなインスピレーションを与えた。現代でも「ミュシャ・スタイル」として装飾様式は愛され続けている。
この作品「四季」は1896年に制作されたミュシャの初めての装飾パネル画である。四つの季節がそれぞれ女性像で表現されている。冬は茶色の髪の女性が凍えた鳥を手に包んで暖めている「霜のおりた冬」である。この作品は、商業用ポスターで評判を得たミュシャに、装飾パネル画の依頼が来て制作されたもの。装飾パネル画とはポスターから宣伝用の文字要素を取り除いたもの。「四季」シリーズは大変人気があり、ベストセラーとなった。
その「四季」シリーズの「夏」は青空のもと鮮やかな赤い花冠を着けた女性が、水辺で足を遊ばしている光景。蔦が絡む枯木に寄り添いながら、こちらを見つめる姿が印象的です。垂れ下がる薄絹の衣装、露わにした肩に艶かしさを感じさせます。
弊社取扱いの「ミュシャ」「クリムト」のポスターは高品質なシルクスクリーンプリントにより、原画の色とテクスチャを 再現しており、さらに職人による丁寧な金・銀等の箔加工が施された「ミックスドメディア」の作品になります。その高品質な作品は世界中から認められ、メトロポリタン、MoMA、エルミタージュ、京都美術館などの世界的に有名な美術館やギャラリーが取り扱っています。

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